送られてきた位置情報を頼りに、都内から一時間半ほど車を走らせれば、ぽつんと建つコテージに着いた。
こんなにも寂しげだっただろうかと、かつての記憶を辿ろうとしたが、寸前でやめた。建物と人間とでは一年の重みは異なり、変化の仕方も違うのだろう。建物が全く異なるものに見えるのは、私が年を重ねたからだ。
夕方までに到着すると言っていたが、夕食の準備はしない。無駄になることが分かっているからだ。それでも酒とつまみを買ってきてしまったのは、まだ希望を捨てきれずにいるからだ。
砂利がぶつかり合う音がした。轟が到着したのだ。
「おかえり」
「……ただいま」
コテージの前に車を停めた轟は駐車場を探しているようで、窓から顔を出してキョロキョロあたりを見渡していた。滅多に人も車もこない場所なのだ。適当に置いておけば良いのに。かくいう私はコテージの裏にある駐車スペースにきっちりと停めたのだが。
諦めたのかエンジンをとめて車から降りてきた轟に声をかければ、まさか出迎えられるとは思っていなかったのか驚いたように目を見開いた。
「わざわざ出てきてくれたのか」
「車の音が聞こえたから」
玄関に荷物を置き、靴を脱ごうとしている轟に声をかける。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」
「ナマエ」
定番のフレーズを言い終わるよりも先に、轟は私の名前を呼んだ。呼びかけたというよりも、私の言葉の先を予想したという方が正しいだろう。
悩むことなく選ぶだなんて轟にしては上出来だ。
「……って言ったらくれんのか?」
「お風呂くらい入ってくれば良いのに」
靴を脱ぐことなく、ただ靴紐を結び直した轟は私に向き合った。私は少し呆れたように言って笑った。そして続ける。
「……朝からでかい氷をぶっ放してお疲れでしょう?」
努めて穏やかな声を出しながらそう話す。側から見れば、仕事から帰った相手を労っただけのなんてない光景だ。しかし轟はどう受け取っただろうか。表情がピシリと固まった。
──あぁ、これはクロだ。やはり夕飯を作らなかったのは正解だ。内通者と仲良く食卓を囲むなんて、出来るはずがない。
ヒヤリとした空気が頬を撫でた。
正面に立つ轟に向けて風を放てば、私を捕らえようと広げられた氷が砕け散った。反応速度は負けていない。氷の破片が触れたのか、轟の頬には赤い線のような傷ができていた。
「頭を冷やす時間が必要とは言ったけど、氷漬けにしろなんて頼んでないんだけどな」
口角を均等に持ちあげて、にっこりとした表情を保ったまま話しかける。頭を冷やそうと提案したのは私だが、それにしては氷漬けはやり過ぎだ。いや、殺すつもりで掛かってきているのだから、やり過ぎでも何でもない。
「痛い目みる前に降参しろよ」
「ハァ?」
眉をわずかに寄せた轟は、静かな口調で降参しろと諭してきた。まるで私を格下だと見下しているような話しっぷりだ。
冷静に対応するつもりが、頭のどこかでプチンと何かが切れる音がして、気づいた時には低い声が漏れていた。
「痛い目みるのはそっちでしょう」
建物の破損など私の知ったことではない。エンデヴァーには申し訳ないが、裏切り者の息子を恨んでください──そう心の中で呟いてから、轟めがけて個性を放つ。
備え付けの靴箱がただの木片となり、ステンドグラスがはめ込まれた扉が破片を撒き散らしながら吹き飛んだ。轟は後方に飛び退き、正面に氷の壁をつくったことで回避したようだった。
「どう? 目が覚めたんじゃない?」
「……いまの本気だよな」
「いつだって本気だよ」
まさか私が本気で首をかこうとするとは思わなかったのだろう。轟は信じられないという様子だったが、現状をゆっくりと咀嚼しているようだった。
殺すつもりだった。
いや本当に殺すつもりはない。しかし殺すつもりで戦わなくては、轟には敵わない。個性の強さも、フィジカル面でも劣っているのは嫌というほど理解している。だからこそ本気でかからなければ、轟を捕まえるだなんて出来るはずがない。
手のひらの中で空気を圧縮する。限界まで圧縮されたものを放った時、もとに戻ろうと一気に膨らむ。それは爆破のような威力を伴う。
背後に隠していた手を轟に向け、ゆっくりと開くと、玄関とリビングを隔てていた壁がまるごと吹き飛んだ。
「目を覚まさせるってより、眠らせようとしるって方が正しいだろ」
「いい夢みせてあげる」
この攻撃を読んでいたのか、轟は氷の壁をつくりながらコテージの奥に進んだ。いく層もそびえ立つ氷の壁の向こうから、轟が叫ぶようにして話しかけてきた。
彼を瀕死の状態にしてでも捕らえ、罪に向き合わせる。これが目的だった。寝ぼけている相手を起こすのとはわけが違う。言葉の額面通り受け取った轟の指摘は尤もでもあり、見当違いでもあった。
氷の壁を一つずつ壊し、奥へと進みながらうっそりと笑いかけた。
「話をしよう」
「氷ぶっ放してきた人と話が出来るとは思えないけど」
「あれは違ぇ」
対話することを提案してきたが、先に攻撃を仕掛けてきたのは轟だ。私は応戦したまで。
そう痛いところを突いたはずだが、轟は言下に否定した。
「あぁでもしねぇと逃げんだろ」
「サイテー」
話し合うために氷で私の動きを封じようとしたというのだ。苦しい言い訳のようにも思えたが、轟の声は真剣そのものだった。私の知る轟はこのようなことで嘘はつかない。だから言っていることは本当なのだろう。……彼が変っていなければの話だが。
真偽はどうであれ、話し合いの場を設けるために氷漬けにしようだなんて過激な思考にもほどがある。感情を乗せない声で彼の行動を批判すれば、轟は姿をあらわしムッとした表情でこちらを見た。
「任務の時でもソレしてんのかよ」
「いまそんなこと関係ないでしょう」
「その関係ないものを持ち込んでるやつに言われたくねぇ」
皮肉っぽい声色で言った、ソレというのは、指輪のことだ。正しくは指輪型の通信機。
この状況でも、昨日した口論の続きをしようというのか。関係ないといってバッサリと切り捨てたのだが、轟はめげずに食らいついてきた。
指輪は任務に関係ないと言いながらも、現場に持ち込んでいるのだ。苛立ったような声で返された内容に、ぐっと言葉を詰まらせてしまった。
「ナマエには似合わねぇ」
「……そんなの自分が一番知ってる!」
轟の言葉に、貼り付けていた仮面が崩れるのを感じた。喉の奥がキュッと詰まり、声が細く甲高くなってしまった。
泣きたくなった。きらきらと輝く指輪が似合わないのは自分がよく知っていた。何度か骨折を繰り返した指は関節がわずかに太くなっているし、手の甲は所々ひきつれがあって柔らかではない。
きっと指輪が似合うのは、夜露に濡れた百合の花弁のように白く、透き通るような手をしている女性だ。
そんなことは知っていた。ヒーローを志した時点で仕方がないことだと割り切っていたことでもあった。しかし轟から突きつけられた言葉は、胸に突き刺さり、痛みは広がっていった。
感情の昂りに伴って、個性が意志と関係なく広がっていく。よわい自分をまもるように風が渦を巻き、周囲のものを呑み込んでいく。
「ナマエ」
「馴れ馴れしく呼ばないで」
建物全体がギシギシと音を立てていた。流石にマズイと感じたのか、宥めるような口調で轟が私の名前を呼んだ。しかし今はその態度すら腹立たしい。個性のコントロールを失ったわけではない。木片やら金具やらを巻き込んだ風を、轟に向ける。
「……名前呼んだだけでこれかよ。話になんねぇな。その気性の荒さ、どうにかなんねぇのか」
「そっちこそ、そのマイペースなとこどうにかしてよ」
いつの間にかキッチンに逃げ込んでいた轟は、部屋の中心に配置された大きな作業台の影に身を隠しながら叫んだ。鋭い舌打ちも聞こえたことから、随分と苛立っている様子だ。
キッチンとは都合が良い。私は目に入ったペティナイフとマッチ箱を風で浮かせ、手元に運んだ。
さすがに刃物を投げたりはしない。ただ、道具としては使う。
コンロに繋がっている、ゴム素材のガス管にナイフを突き立てる。少し強引に引けば、きれいな断面があらわれる。そこからはシューシューとガスがもれている。その管を轟の方へと向ける。
「何して……」
「死なないでね」
コテージに置かれたままになっていたマッチは幸い湿気ていなかったようだ。赤い頭を箱のフチで擦り、ボッとうまれた小さな炎をガス管の先へと投げる。
ガスに引火し、瞬く間に広がる。キッチンの入り口付近にいた私は慌てて壁に身を隠したが、それでも爆破の威力は感じた。
この程度では轟は死なないし、捕まってもくれない。ひんやりとした空気が流れてきたことから、轟は凍結で炎を相殺したのだろうと推測する。
「……あんまりじゃねぇか?」
「やだなぁ、今朝のお返し」
天井までも凍ったキッチンの中に佇む轟は、ぐっと眉を寄せた表情で私を睨みつけた。ずっと凍らせてばかりいたせいか、轟の身体はわずかに震え、薄い唇の隙間からは白い息が吐き出されている。
今朝、これとは比べものにはならないほどの規模の爆破をお見舞いしてくれたのだ。お返しだと笑いかければ、轟はバツが悪そうに押し黙った。
「……あれはナマエだって知らなかったから」
「知ってたら手加減してたってか?」
小さな声で話した轟とは対照的に、私は声を荒らげる。
どうやらサイドキックを救出する任務にあたっていたのが私だとは知らなかったようだ。敵でありながら、もし相手が私だと知っていたならば加減をしていた──とでも言いたげな口ぶりだった。
舐めて掛かるのもいい加減にして欲しい。
「だからいつまで経っても舐めプって呼ばれんのよ」
「いや、舐めてる訳じゃねぇ。でも、客観的にみて、パワーも個性も俺の方が有利だろ」
口の悪い友人がつけたあだ名を思い出した。随分と的を射た表現だ。
私の声の大きさにつられたのか、轟の声は次第に大きく、早くなっていった。
轟が私を見下しているわけではないことは知っている。ただ客観的にみた評価の話をしているのだ。女だから仕方ないだなんて言われたくないし、それを弱い理由にしたくない。しかしいくら鍛えようとも、埋まらない差はある。それを痛感していたからこそ、彼の正論は私の胸を抉ったし、同時にそれを正論だと感じ反論できない自分に苛立った。
「個性を半分しか使わない人になんて負けない」
「爆破したのは悪かった。だから一旦話しを……」
氷漬けになった調理台を踏み台にして、距離を縮め、轟の懐に身体をもぐりこませた。まだ話し合いをしようなどと言う、甘ったれた男の頬に拳をぶつける。
「痛ぇ」
「そりゃ殴ったからね。近接戦は苦手だった?」
口内が切れたのか、白い歯を赤く染め、ボタボタと血をながす轟は小さく呟いた。よろめいた轟の身体に回し蹴りをいれる。横腹の次は鳩尾、次は……と攻撃をしながら次の手を考える。
ジリっと肌が焼けるような感覚がした。
「……喧嘩にしちゃ度が過ぎてるだろ」
「まだそんなこと言ってるんだ」
これは喧嘩などではない。ヒーローと敵、命をかけた正義の押し付け合いだというのに。
状況を正しく理解していないような轟の言動に呆れそうになったが、メラメラと半身を覆う炎をみて、そのような感情は消え去った。
「忠告したからな」
そういうと轟は、固体になった水分を一気に蒸発させるほどの熱を放った。この手は今朝も食らったばかりだ。背後で爆風を感じた。
恐らくキッチンはもう本来の機能を果たすことができないほど悲惨なことになっているだろう。いち早くキッチンから離れた私は廊下の角をいくつか曲がり、たどり着いた一室で、迎え撃つための準備を整える。
どうやら常にコテージは管理されているらしく、ベッドにはふかふかな羽毛布団が敷かれていた。高級だと思われるそれを引きちぎれば、中から羽が飛び出してきた。攻撃にはならないが、視界を奪う程度には利用できるはずだ。
「……あんまり乱暴は好きじゃねぇんだが」
そう言いながらも扉を蹴破って、押し入ってきた轟は私に左手を向けた。左の個性が放たれるより先に、羽で彼を襲う。咄嗟に右腕で両目を覆った轟は、左腕をあらぬ方向へ向けた。そちらに私はいない。
「どこ狙ってんの」
視界が奪われ、気配だけでは私の動きを察知できなかった轟はやみくもに炎を放った──かのように思われたのだが。
轟が攻撃した先、壁の向こうにはシャワールームがあった。破裂した水道管から水が勢いよく溢れだす。
まずい。凍結される。慌てて飛び退こうとしたが、長い脚で一気に距離を縮めた轟に腕を掴まれてしまった。そのまま脚をかけられ、気付いた時には背中に床の感触があり、正面には天井が見えていた。
「ザックリいっちまったな」
「誰のせいよ」
両腕を一括りにして押さえ、拘束した轟は、私の腰あたりに馬乗りになっていた。水浸しの床に寝かされた身体は徐々に冷たくなっていく。
ドクドクと血が溢れ出す額の傷をそっとなでながら、轟は哀しげに目元を歪めた。
額の傷はたったいま、水道管の破片が掠めたのだろうか。あちこち傷だらけでいちいち気に留めていられなかった。
腕は拘束されていたが、私の個性は念力のように、頭の中で念じれば、任意の場所に風の流れを発生させることができる。腕を押さえつけただけの轟の拘束は不十分だ。
手のひらを轟に向けようとすれば、彼の手が私の首に添えられた。はじめは添えられていただけの手のひらに力が込められ、首を圧迫してきた。
私の首を覆うことができる彼の大きな手ならば骨をポキリと折ることも出来るはず。殺すにしてはあまりにも優しい触れ方だ。
低酸素状態にすることで思考を奪おうとしているのだろうか。
どちらにせよ、攻撃を封じるには良い策だ。
「これ以上はしたくねぇ……」
「もう無理だよ」
苦しいのは首を絞められている私の方だというのに、轟はそれ以上に苦しげに顔を歪めながら、弱音を吐いた。どれだけ歪められようとも轟は変わらずに美しいままだ。
突き放すつもりが、縋り付くような轟の瞳に絆されて語尾がゆるまってしまった。押しつぶされている喉から発した声は、掠れていたが轟に届いたようだ。
「どこで間違った……」
ひとりごとのようにも聞こえたし、返答を求めているようにも聞こえた。
──どこで間違えたか。
一緒に暮らしながら轟の異変に気付かなかったからか。曖昧な関係を続けたせいなのか。共同生活を断らなかったせいか。
……いや、私たちはきっと始まり方を間違えた。そして今日までずっと間違えていた。
どこかで正すことは出来たはずだ。それでも間違いから目を逸らし、心の柔い部分に触れさせず、身体だけ交わらせてきた。
「好きだ」
ぼんやりと霞む視界が、時折り海の中にいるように揺らめく。ぽたぽたと双眸を濡らし、頬をつたい落ちる雫は、どうやら轟から溢れ出たもののようだった。
泣いているのだろうか。朝方の光の中にいるかのように視界が白んできて轟の表情がわからない。何度も繰り返すその声は掠れていたし、指先は震えていた。
泣きながら好きだと繰り返し、首を絞め続けるだなんて狂気に満ちた光景だ。でもなぜだか、この時聞こえてきた”好き”という言葉はすっと受け入れることができた。
「ナマエ」
「……す、き」
酸素をもとめて水面に顔を出す金魚のようにハクハクと口を動かす。端からたらりと涎を垂らした唇を動かし、言葉を紡ぐ。
喉を圧迫されているのに、酸素は足りていないのに──それでも今までで一番すっと言葉が出ていった。潜水しているように息苦しいのに、どの瞬間よりも生きているという心地がした。
指先から力が抜け、全身が弛緩し、目蓋がぴくぴくと震えた。抗うこともできないような圧倒的な力で、どこか暗い場所に引き摺り込まれていく。遠ざかる光を掴もうとしたが、腕はぴくぴくと痙攣をするだけだった。